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 人の目には、彼とくらべると、わたしたち夫婦や娘は、善人であるかのように見えましょう。けれども神はご存じであります。神の最もきらいたもうのは、自分を善人とすることであります。そして、他を責め、自分を正しとすることであります。  人間は一人として完全な者はありません。わたしはこの年まで、毎日いかに不完全な、過失多い毎日を送ったでありましょうか。わたしは年若き日に、妻ある身でありながら、他の女性と通じた恥ずべき人間であります。たとえこのような目に見えた罪は犯さなかったとしても、神の光の前に照らし出される時、顔を上げ得ない人間であります。  人間はまことに過失を犯さなければ生きて行けない存在である故に、われわれは、ただ神と人とにゆるしていただかなければ、生きて行けない者なのであります。  それをよく知りつつも、わたしたち夫婦と娘は、彼をゆるさずに死に至らしめてしまった心冷たい傲慢な人間でありました」  葬儀の時の耕介の式辞を、奈緒実は思い出していた。父も母も良一をゆるし愛していた。それなのに、父は会衆の前に自分自身を責めていた。責められるべきは、この自分ではなかったかと、奈緒実は羊たちのもくもくと草を喰む姿に目をやった。  良一の死後すぐに開かれた個展で、十字架のキリストを仰ぐ自画像はかなりの反響を呼んだ。ある評論家は、 「これほどの天才を見出せなかったということで、わたしは自分が評論家であることをどれだけ恥じているかわからない」  とさえ言い、ある新聞は、 「絵は技術やインスピレーションからだけ生まれるものではなく、深い魂の底から生まれるものであることを改めて知らされた」  と書いた。 「奈緒実さん、何を考えていらっしゃるんです」  竹山に言われて、奈緒実は淋しい顔を竹山に向けた。 「先生。漱石の『三四郎』をお読みになって?」  奈緒実は遠いところをながめるまなざしになった。 「読みましたが……」  竹山は奈緒実が何を言い出すのか見当がつきかねた。 「あの中に、迷える小羊《ストレイシープ》という言葉が出てきますわね」
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