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2015-02-19 10:38    赤霧島定価
 電車はそのとき、鳴滝《なるたき》あたりの大竹藪《おおたけやぶ》のかたわらを走っていた。竹は五月の凋落《ちょうらく》の季節に当って黄ばんでいた。梢《こずえ》のほうをそよがす風が、枯葉を密集した藪の只中《ただなか》に降らせているのに、根《ね》方《かた》はそれと関わりがないかのように、奥の奥まで太い節《ふし》を乱雑に交《こう》叉《さ》させて静まっていた。ただ電車の疾《しっ》駆《く》する間近の竹だけが、大袈裟にたわんで揺れた。その中に一本の際立って若い、青いつややかな竹が目に残った。その竹のいたくたわんださまが、艶《なま》めかしい奇異な運動の印象を以て、私の目に残り、遠ざかり、消え去った……。  嵐山へ着き、渡月橋《とげつきょう》の片ほとりまで来たわれわれ一行は、今までは知らずに見すごしていた小督局《こごうのつぼね》の墓に詣《もう》でた。  平清盛を憚《はばか》って嵯峨野《さがの》に身を隠した局を、勅命によって探しもとめていた源仲国は、仲秋名月の夜、微《かす》かにきこえる琴《こと》の音《ね》をたよりに、局の隠れ家をつきとめる。その琴の曲は「想《そう》夫《ふ》恋《れん》」である。謡曲「小督」には、「月にやあくがれ出《い》で給ふと、法輪に参れば、琴こそ聞え来にけれ。峯《みね》の嵐《あらし》か松風かそれかあらぬか、尋ぬる人の琴の音か、楽《がく》は何ぞと聞きたれば、夫《つま》を想ひて恋ふる名の想夫恋なるぞ嬉《うれ》しき」とあるが、局はそののちも嵯峨野の庵《いおり》で、高倉帝の菩《ぼ》提《だい》を弔いながら、後半生を送ったのである。  塚《つか》は細い小《こ》径《みち》の奥にあり、巨《おお》きな楓《かえで》と朽ちはてた梅の古木とにはさまれている小さい石塔にすぎなかった。私と柏木は、殊勝らしく短い経を手向《たむ》けた。柏木のひどく生まじめで冒涜《ぼうとく》的な経の読み方が私にも伝染《うつ》り、私はそこらの学生が鼻唄をうたうような心意気で読《ど》経《きょう》をやってのけたが、この小さな涜聖がひどく私の感覚を解放し、いきいきとさせた。 「優雅の墓というものは見すぼらしいもんだね」と柏木が言った。「政治的権力や金力は立派な墓を残す。堂々たる墓をね。奴らは生前さっぱり想像力を持っていなかったから、墓もおのずから、想像力の余地のないような奴《やつ》が建っちまうんだ。しかし優雅のほうは、自他の想像力だけにたよって生きていたから、墓もこんな、想像力を働かすより仕方のないものが残っちまうんだ。このほうが俺はみじめだと思うね。死後も人の想像力に物《もの》乞《ご》いをしつづけなくちゃならんのだからな」 「優雅は想像力の中にしかないのかい」と私も快活に話に乗った。「君のいう実相は、優雅の実相は何なんだ」 「これさ」と柏木は苔《こけ》むした石塔の頭をぺたぺたと平手で叩《たた》いた。「石、あるいは骨、人間の死後にのこる無機的な部分さ」 「ばかに仏教的なんだね」 「仏教もくそもあるものか。優雅、文化、人間の考える美的なもの、そういうものすべての実相は不毛な無機的なものなんだ。龍安寺《りょうあんじ》じゃないが、石にすぎないんだ。哲学、これも石、芸術、これも石さ。そして人間の有機的関心と云ったら、情ないじゃないか、政治だけなんだ。人間はほとほと自己冒涜的な生《いき》物《もの》だね」 「性欲はどっちだね」 「性欲かい? まあその中間だろうな。人間と石との、堂々めぐりの鬼ごっこさ」  私は彼の考える美について直ちに反駁《はんばく》を加えようと考えたが、議論に飽きた女二人が、細径《ほそみち》を引返しかけたので、その後を追った。細径から保津《ほづ》川《がわ》を望むと、そこは渡月橋の北の、あたかも堰《せき》の部分であった。川むこうの嵐山には陰鬱な緑がこもっているのに、川のその部分だけは、いきいきとした飛《ひ》沫《まつ》の白の一線が延び、水音があたり一面にひびいていた。  川にうかぶボートの数は少なくなかった。しかしわれわれ一行が川ぞいの道を進み、つきあたりの亀山《かめやま》公園の門を入ったとき、散らばっているのは紙屑《かみくず》ばかりで、きょうは公園の中の行楽客の稀《まれ》なことがわかった。  門のところでわれわれはふりかえり、もう一度、保津川と嵐山の若葉の景色をながめた。対岸には小滝が落ちていた。 「美しい景色は地獄だね」と又柏木が言った。  どうやら柏木のこの言い方は、私には当てずっぽうに思われた。が、私も亦《また》、彼に倣《なら》って、その景色を地獄のつもりで眺《なが》めようと試みた。この努力は徒《あだ》ではなかった。若葉に包まれた静かな何気ない目前の風景にも、地獄が揺曳《ようえい》していたのである。地獄は、昼も夜も、いつどこにでも、思うがまま欲するがままに現われるらしかった。われわれが随意に呼ぶところに、すぐそこに存在するらしかった。