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シャネル スカーフ 偽物 見分け方編集

 老人は、にやりと笑って、目尻の皺を深めた。 「ところでな、若い衆。あんたは帰還者援護協会ちゅうもんがあるのを知ってるかね?」  とにかく、ヒルシュマイアが彼自身としては至極真面目に話していることは判った。だが、NATOがワルシャワ条約国に奇襲攻撃をしかけて東側ブロックを侵犯するなどという話は、荒唐無稽、冗談としかいいようがない。 「私どもの研究室は、戦争は相手の領土の上ですべきだなどと、身勝手なことを単純にいっているわけではないのです。  ところで、近代史科学という学問について、お二人はご存知ですか?」  二人とも頸を横に振った。 「そうですか。一口にいえば、集団心理学に、一年、十年といった時間の係数を加味して、民族や国民が、時代時代のできごとに反応した心理要因を追究し、歴史の必然を証明しようとする学問なのです。近代に限定しているのは、古い時代については正確なデータが採れないので、科学にはなり得ないからです。  一例を挙げてみましょうか。わが国のイスラエルに対する態度には、他の国に対するのと異る何かが常に働いています。その理由は、四十年近い昔、人間でいえば約一世代半前に、ヒトラー・ドイツが犯した過ちに対する民族単位の贖罪意識が、国民心理の中に未だに潜在しているからです。もう一つ、身近な例を挙げましょうか。フランスは、地理的、人種的、宗教的、政体的、そして国防経済的に見てもNATO組織に加盟している方が自然であり合理的であるのに、なぜ一九六六年、ド・ゴールが大統領の時に脱退してしまったのか? 一口にいって、フランス人が持つ民族的優越感がその答であるのはご存知のとおりです。彼らが先駆けて現代社会の基盤をなす文明文化の近代化を果したのだという民族的な誇りが、ウィリスさん、あなたのお国、フランス人から見れば、強いが決して大人とはいい切れない国が中心の、つまりアメリカ主導型のNATO組織にフランスをして留まらせることを潔しとしなかったからです。  近代史科学と申しますのは、このような特異な人間集団心理要因を加味して民族間、国際間の歴史の必然を証明しようとする学問なのです。ご理解いただけましたか?」  この話はよく判った。二人はすぐさま頷いた。卓上に放置されている三つのグラスの中のブラン・ド・ブランが温まってしまって泡がすっかり消えていた。クルトが、アイス・バケットから瓶を取り出して注ごうとしたが、ヒルシュマイアが掌を振って断わった。 「では、本題に入りましょうか。  近代史科学の手法は、未来に向けても使えないことはありません。もちろん、近い未来ほど分析確度が高くなります。この手法を用いて、私どもは、ワルシャワ条約機構六カ国の、現在プラスマイナス二カ年の国民心理について、多角的に分析を試みたわけです。作業の目的は、実は『ワルシャワ条約軍の攻撃はあり得るか? 回答がイエスの場合、その時期は?』という設問を中心に、現今の東西関係の政治的緊張が関係国国民心理に及ぼしている影響を調査することでした。  コンピューターが出した回答は『イエス』で、時期は『最短期間』と出ました」  またもや二人は、真面目に話を聞くべきかどうか迷いはじめた。クルトが頬に笑いを浮かべながら尋ねた。 「『最短期間』というのは、何日くらいなんです? 明日、明後日ということもあり得るんですか?」  教授は、正確に意志を伝えようとするように、咳払いをしてからゆっくりと口を動かした。 「さきほどお話しましたように、私どものやっている学問では、時間の単位として、一年と十年を組み合わせて使っております。したがって、最短期間といいますと、零から一カ年の間を意味します。そういうわけでありますので、おっしゃるように、明日や明後日も、可能性のうちには入っております」  レスの頭の中のどこかに、ヒルシュマイアの話を真剣に考えてみようとする部分があったのかも知れないが、今日の午後、あの気圧計記録表のようなグラフを前にして、爆発事故についてあれこれクルトと話し合っていたときに、二度ほど脳裡を|過《よぎ》ったあの考えが、また突然、浮び上がってきた。彼は、話の先を続けようとしているヒルシュマイアを眼顔でしばらく押さえて、クルトにいった。
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